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水中ワイド写真の構図についての考察 2022.9.19


表記の件について記す。

写真は、2016年 錦江湾にて撮影。カメラはフルサイズセンサーでレンズは15mm 設定は、1/100  f8  iso 400

 

では、

前書き 写真は、何のために撮るか、もしくは編集するか?という目的なくして他人に見せ、かつ良い(わかりやすいとか美しいとか・・)写真はできないと思っている。写真の要素は、露出と構図、そしてポリシーの3つ。この3つの要素を、きちんとできれば、少なくとも他人に見せて嫌がられる写真にはならない。ここでは、その中の構図について、既撮の画像を例として考察及び作品作成してみよう。なお、自分の考えは旧いと思っている。新しい写真の見せ方を追求している方には、不要の考え方だと思うし、不要のスキルと思う。賛同の必要はない。

まず、構図について、考える時、「何を見せたいか?」(目標)が最重要な課題になると思う。次が、「どのように見せたいか?」(方法)である。この目標・方法がイメージになければ、ただのごみ画像を作るだけ。カメラを準備し、スクーバ器材をセットする前に、イメージを決めておこう。

さて、今回は、「錦江湾に群れるアカオビハナダイの様子」を目標として撮影した写真を例とする。

被写体(目標)は、アカオビハナダイである。

この画像は、「無編集」である。

被写体を明らかにするために、ストロボを使用している。

この画像では、「左側の岩」と「右上の黒い物体の一部」が不要に思えるが、構えて、シャッターを押す時、それらは見えていないと思う。水中では、マスク越しのファインダーが見にくいので、勘撮りといえばそうである。それでもある程度の、仕上がり構図はイメージしておく必要がある。また、切りたくはないが、必要なら着るべき。気になる部分は切り落とすことにした。

不要部分を切り落として、被写体は、よくわかるようになって、目標達成に思えたが、画面全体が単調でインパクトがない。単にアカオビハナダイが群れているだけの画像になって、面白みが感じられないので、他人に見せて、良い写真ができたとは思えない。ので、画面にダイバーを加えることにする。

 

 

ダイバーを画面に入れ込んで、撮ってみた。画面左側に岩壁、真ん中に少し群れるアカオビハナダイ、右にダイバーの構図。注目のいく被写体(アカオビハナダイとダイバー)が画面を上下に3分割したラインにほぼ集まっていて、画面下側が余っている。下側は不要で、もしも、ここを切った場合、同じ画面比率にするとダイバーがギリギリなので、右の岩壁はカットアウトになる。さらに、アカオビハナダイが少ない感じがするので、この画像は、ボツとした。

これは、手前にアカオビハナダイ、奥にダイバーを配してみた。(トリミングはしてないけど、色は編集している)ダイバーは正面を向いていて、わかりにくい。また、最初の画像と同じで、向かって左手の岩壁が不要に思える。これもボツ。

 

 

 

ダイバーがよくわかること、アカオビハナダイが綺麗に並んで、流れるように配置できたこと。右上の水のグラデーションが自然なこと。などから、この画像を使うことにした。

不要部分は、左の岩壁の一部と右上部の何かの影。さらに、下側の何も写っていない上下に1/4くらいの部分。

全部カットアウトして比率も良かったので、色を好みに編集して、できた画像が下。

あとは、色(プリントして人に見せるなら緑主体。SNSでダイビングの宣伝するなら青主体)と明るさをさらに調整して、気に入った写真にしたいと思っていて・・

 

構図を、考えるとき、いろんな理論があるけど、結局、「自分の好み」なんだなーって思う。また、その「好み」って、昔からゲージツ家とかゲージツ理論家などが一生懸命考え、実践している黄金分割とか3分割法とか、そんな既知の理論にどんどん影響されていて(多分、ヒトは慣れ親しんだものが美しいと感じると思う。)、それは、子供の頃から「美しい」と言われている「絵画・彫刻」などの2次元、3次元のゲージツに随分流されているなーって思った次第ですー。。

なお、水中マクロ写真では、また、違う構図に注目できる。なぜならば、水中に広がっているリアルな自然は、自分達=ヒトの自分勝手な感覚を常に裏切るからなので、「分割の理論」などという頭で捏ねられたヒトの考えなど全く適用されないから。です。どちらかというと、そのこれまでの美しさを裏切る構図・・自然の中にある「生命維持のための構図」の発見こそ、追求すべきなのかなーとか。大きく振りかぶりましたが、先日、アーチストの卵たちの作品を見る機会があって、深く考えてしまったのでしたー。

最後までよんでいただいてありがとう。私見ですからねー。